啓(2024年7月10日)

最近、パソコンに向かって何か作業をするときには、ラジカセから童謡、唱歌や日本の抒情歌を流している。音源は十数年前に買った DVD 8枚で構成されている「美しき日本の歌」中の 128 曲から私の好きな歌 44 曲を選び、友人に頼んで CD 化してもらったものである。
早春賦、美しき天然、浜辺の歌、四季の雨、鎌倉、青葉の笛、月の沙漠、花などを背中で聞きながらパソコン画面と向き合っている。
私が聞いているこれらの歌は全て元の歌詞で歌っている。例えば「春の小川」の一番では「♪春の小川は さらさら流る 岸のすみれや れんげの花に 匂いめでたく 色うつくしく 咲けよ咲けよと ささやく如く」であり、現在歌われている「♪春の小川は さらさら行くよ きしのすみれや れんげの花に すがたやさしく 色うつくしく 咲けよ咲けよと ささやきながら」とは異なっている。(注1)
また、「冬の夜」の二番では「♪囲炉裏のはたに 縄なう父は 過ぎしいくさの 手柄を語る 居並ぶ子どもは ねむさ忘れて 耳を傾け こぶしを握る 囲炉裏火は とろとろ 外は 吹雪」である。現在では「過ぎしいくさの 手柄を語る」は「過ぎし昔の 思い出語る」と変更されている。
これら歌詞の変更は、前者では「文語体を習っていない段階の児童に教えるのにはふさわしくない」、後者では「戦争を意識させる、あるいは戦意高揚に連なる」という理由からだろうとは推測できる。
ところがよく分からないのは「さくら さくら」(注2)である。「♪さくら さくら やよいの空は 見渡すかぎり 霞か雲か 匂いぞいずる いざや いざや 見に行かん」(以下①の歌詞とする)であり、私の DVD ではこの歌詞を2回繰り返す。 私はこれ以外に「♪さくら さくら 野山も里も 見わたす限り かすみか雲か 朝日ににおう さくら さくら 花ざかり」(以下②の歌詞とする)というのも知っている。
どうして同じ曲なのに歌詞が二つあるのか、気になった。暇つぶしに調べてみようと思い、図書館から「言葉をかみしめて歌いたい童謡・唱歌」(春秋社、由井龍三)と「心にのこる日本の歌 101 選」(ヤマハミュージックメディア、長田暁二)を借り出した。
前書では、「さくら」の詞として私が知っている①と②の二つの歌詞が掲げられ「江戸時代の琴唄に、『咲いたさくら 花見て戻る 吉野はさくら 竜田はもみじ 唐崎の松 ときわ ときわ 深緑』と、花・紅葉・松をうたったものがあり、やがて『桜』一本に絞られる」とあるが、なぜ桜一本に絞られ、それが二つの歌詞になったのか、これだけでは答えになっていない。
後者(ここではタイトルを「さくら さくら」としている)でも「江戸時代は『さいた櫻』と言う題名で『さいた櫻 花見て戻る‥‥‥深みどり』だったのを『筝曲集』の編者が、すっきりした歌詞に改めたといわれています」とあるがこの文章でも「すっきりした歌詞」が①か②かよく分からない。
こうなるといつもの癖で納得できる理由を知りたくなる。そこで「日本童謡事典」(東京堂出版、編者上 笙一郎)で調べた。
この本では編者の上 笙一郎氏が「さくら さくら」の項を担当し「さくら さくら」について「まず琴うたとして作られ、子どもの遊びに転用されてわらべ唄となり、そのわらべ唄としての浸透度に立って唱歌に改作されるという歩みを辿った歌曲である」「江戸時代に成立した筝曲の『歌物』のひとつに『さいた桜』があり……この琴歌の曲はそのまま、歌詞を改作したものが、すなわちこの(①の)『さくら さくら』の歌である」と解説している。
そして「太平洋戦争期の第三期国定教科書『うたのほん(第二学年用)』(一九四一年)において、この『さくら さくら』は次のように改作して登録された」とし、②の歌が掲げられている。更に「国定教科書がなくなり検定教科書の時代となった現在、この改作(②の歌)『さくら さくら』は必習の歌とされ、どの教科書会社の本にも採録されている」としている。
ということは、②の「さくら さくら」が 1941 年以降現在に至るまで小学校で教えられているということになるのだが、私も妻も「さくら さくら」と言われれば①の歌を口ずさむ。メールで畏友ご夫妻の意見を聞いたところでも①だとの返事があった。
今では大きくなった私の子どもや孫の世代ではどちらを習ったのだろう。そして現代の小学校ではどちらの「さくら さくら」を歌っているのだろう。
(追記)
上記の文章を仕上げてから約1ヶ月を何か釈然としない気持ちで過ごした。この問題が頭の片隅にあったのだろうか、その間に「唱歌・童謡 100 の真実」(ヤマハミュージックメディア、谷内喜久雄)という書物があるのに気が付いた。「さくら さくら」についてこの本に書かれているのは次のようなものだった。紙面の関係上、結論だけ箇条書きに書き写す。
1.昭和 16 年、尋常小学校が解体され、国民学校となって新しい唱歌集が編集された時「さくら さくら」と題して初めて小学校の教科書に登場した。この時、歌詞が②とされた。
2.昭和 22 年発行の戦後最初の国定教科書ではこの歌「さくら さくら」は掲載されなかった。
3.翌年、検定教科書となって自由に教材を掲載できるようになったが、この歌を掲載する場合の歌詞の選択に混乱が生じ、折衷的に②を一番に①を二番としたものが多くなった。その後文部省が小学校必修教材に指定し、次第に②が浸透していった。最近(「……100の真実」の発行年度は2009年である)また①に戻りつつある。
4.著者谷内氏は結論として「この歌の記憶は、世代によって異なる。①を歌うのは大正から昭和にかけて育った世代と昭和30年代の小学生だった世代、②を歌うのは、戦中派か昭和40年代半ば以降に学校に通った世代」と書く。
(注1)「咲けよ咲けよと」は昭和 22 年の2回目の改訂までは「咲いているねと」だったという。また現在では二番までしか歌われていないが、元の歌詞は三番まである。三番は「春の小川は さらさら流る 歌の上手よ いとしき子ども 声をそろえて 小川の歌を うたえうたえと ささやく如く」である。
(注2)タイトルを「さくら」とするものもある。
早春賦、美しき天然、浜辺の歌、四季の雨、鎌倉、青葉の笛、月の沙漠、花などを背中で聞きながらパソコン画面と向き合っている。
私が聞いているこれらの歌は全て元の歌詞で歌っている。例えば「春の小川」の一番では「♪春の小川は さらさら流る 岸のすみれや れんげの花に 匂いめでたく 色うつくしく 咲けよ咲けよと ささやく如く」であり、現在歌われている「♪春の小川は さらさら行くよ きしのすみれや れんげの花に すがたやさしく 色うつくしく 咲けよ咲けよと ささやきながら」とは異なっている。(注1)
また、「冬の夜」の二番では「♪囲炉裏のはたに 縄なう父は 過ぎしいくさの 手柄を語る 居並ぶ子どもは ねむさ忘れて 耳を傾け こぶしを握る 囲炉裏火は とろとろ 外は 吹雪」である。現在では「過ぎしいくさの 手柄を語る」は「過ぎし昔の 思い出語る」と変更されている。
これら歌詞の変更は、前者では「文語体を習っていない段階の児童に教えるのにはふさわしくない」、後者では「戦争を意識させる、あるいは戦意高揚に連なる」という理由からだろうとは推測できる。
ところがよく分からないのは「さくら さくら」(注2)である。「♪さくら さくら やよいの空は 見渡すかぎり 霞か雲か 匂いぞいずる いざや いざや 見に行かん」(以下①の歌詞とする)であり、私の DVD ではこの歌詞を2回繰り返す。 私はこれ以外に「♪さくら さくら 野山も里も 見わたす限り かすみか雲か 朝日ににおう さくら さくら 花ざかり」(以下②の歌詞とする)というのも知っている。
どうして同じ曲なのに歌詞が二つあるのか、気になった。暇つぶしに調べてみようと思い、図書館から「言葉をかみしめて歌いたい童謡・唱歌」(春秋社、由井龍三)と「心にのこる日本の歌 101 選」(ヤマハミュージックメディア、長田暁二)を借り出した。
前書では、「さくら」の詞として私が知っている①と②の二つの歌詞が掲げられ「江戸時代の琴唄に、『咲いたさくら 花見て戻る 吉野はさくら 竜田はもみじ 唐崎の松 ときわ ときわ 深緑』と、花・紅葉・松をうたったものがあり、やがて『桜』一本に絞られる」とあるが、なぜ桜一本に絞られ、それが二つの歌詞になったのか、これだけでは答えになっていない。
後者(ここではタイトルを「さくら さくら」としている)でも「江戸時代は『さいた櫻』と言う題名で『さいた櫻 花見て戻る‥‥‥深みどり』だったのを『筝曲集』の編者が、すっきりした歌詞に改めたといわれています」とあるがこの文章でも「すっきりした歌詞」が①か②かよく分からない。
こうなるといつもの癖で納得できる理由を知りたくなる。そこで「日本童謡事典」(東京堂出版、編者上 笙一郎)で調べた。
この本では編者の上 笙一郎氏が「さくら さくら」の項を担当し「さくら さくら」について「まず琴うたとして作られ、子どもの遊びに転用されてわらべ唄となり、そのわらべ唄としての浸透度に立って唱歌に改作されるという歩みを辿った歌曲である」「江戸時代に成立した筝曲の『歌物』のひとつに『さいた桜』があり……この琴歌の曲はそのまま、歌詞を改作したものが、すなわちこの(①の)『さくら さくら』の歌である」と解説している。
そして「太平洋戦争期の第三期国定教科書『うたのほん(第二学年用)』(一九四一年)において、この『さくら さくら』は次のように改作して登録された」とし、②の歌が掲げられている。更に「国定教科書がなくなり検定教科書の時代となった現在、この改作(②の歌)『さくら さくら』は必習の歌とされ、どの教科書会社の本にも採録されている」としている。
ということは、②の「さくら さくら」が 1941 年以降現在に至るまで小学校で教えられているということになるのだが、私も妻も「さくら さくら」と言われれば①の歌を口ずさむ。メールで畏友ご夫妻の意見を聞いたところでも①だとの返事があった。
今では大きくなった私の子どもや孫の世代ではどちらを習ったのだろう。そして現代の小学校ではどちらの「さくら さくら」を歌っているのだろう。
(追記)
上記の文章を仕上げてから約1ヶ月を何か釈然としない気持ちで過ごした。この問題が頭の片隅にあったのだろうか、その間に「唱歌・童謡 100 の真実」(ヤマハミュージックメディア、谷内喜久雄)という書物があるのに気が付いた。「さくら さくら」についてこの本に書かれているのは次のようなものだった。紙面の関係上、結論だけ箇条書きに書き写す。
1.昭和 16 年、尋常小学校が解体され、国民学校となって新しい唱歌集が編集された時「さくら さくら」と題して初めて小学校の教科書に登場した。この時、歌詞が②とされた。
2.昭和 22 年発行の戦後最初の国定教科書ではこの歌「さくら さくら」は掲載されなかった。
3.翌年、検定教科書となって自由に教材を掲載できるようになったが、この歌を掲載する場合の歌詞の選択に混乱が生じ、折衷的に②を一番に①を二番としたものが多くなった。その後文部省が小学校必修教材に指定し、次第に②が浸透していった。最近(「……100の真実」の発行年度は2009年である)また①に戻りつつある。
4.著者谷内氏は結論として「この歌の記憶は、世代によって異なる。①を歌うのは大正から昭和にかけて育った世代と昭和30年代の小学生だった世代、②を歌うのは、戦中派か昭和40年代半ば以降に学校に通った世代」と書く。
(注1)「咲けよ咲けよと」は昭和 22 年の2回目の改訂までは「咲いているねと」だったという。また現在では二番までしか歌われていないが、元の歌詞は三番まである。三番は「春の小川は さらさら流る 歌の上手よ いとしき子ども 声をそろえて 小川の歌を うたえうたえと ささやく如く」である。
(注2)タイトルを「さくら」とするものもある。
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